世界個人旅行的記録旅先出来事→ローカル砂漠ツアー



ローカル砂漠ツアー〜チュニジア
サハラの砂漠を見にチュニスから夜行バスでドゥーズへ向いました。

サラサラの大砂丘にらくだにのっててくてくと。沈む夕陽を眺めて遊牧民のチャイを飲む・・そんなことをうっとりと想像してたのですが、現実は違いました。

チュニスからのバスで一緒だったフランス人旅行者イサベラ・ファビエンヌ・ファビの弟、そして私は、ローカルのチュニジアンと一緒にあれよあれよと砂漠に繰り出す事になったのでした。

フランス語が分からない私には、彼らの間でどんな成り行きがあって砂漠に向ったのかがまったく不明。ちょこっと砂漠の入り口のカフェでお茶を飲んで、砂山にのぼって、きゃっきゃ言いながら記念撮影をし、数十分で戻ってくると思っていたのです。

「これからタクシーで砂漠に行くのよ」「その後はずっとカレイチ(ロバ車)で行くから大丈夫よ」「彼ら(チュニジアン)が手造りパンを作ってくれるって!」切れ切れの英語の情報で、これから私がどこに行き、なにをするかをなんとなく理解していました。

これが砂漠ツアーだってことに全く気づいていなかったんですよ、私。

砂漠ツアーっていうのは、観光局やホテル、ツアー会社で申し込んでランドクルーザーみたいので派手かつ快適に催行するものと思っていたから。一緒に行くのはその辺歩いている近所の若者ですよ?普通ツアーとは思いませんよね。
でもまあ、よく考えたら砂漠のツアーが唯一の観光収入の町です。観光業に携わる人間以外の、一般の若者にとっても、外国人に砂漠ツアーを斡旋するのは、いい現金収入になるのでしょう。

さて、タクシーで小さなオアシスまで行き、カレイチを待ってだらだらする旅人4人。その間チュニジアン3人はカレイチの手配に行った様子です。そしてやっと来たカレイチはロバじゃなくて馬だった。
ロバより少しは馬力のある馬車。それでも7人の人間を馬1頭で牽引するのはかなりきつかろう。砂丘だから車輪も回りにくいし。じゃあ降りて歩け!と言われるだろうが、歩けない。

軽い散歩のつもりで砂漠に繰り出した私は、日焼止めなし、帽子なし、サングラスなし、極めつけはミネラルウォーターなし!チュニジアのかんかんと照りつける太陽でへろへろでした。

馬の尻をたたきつつ、7人の人間が乗っかった馬車は砂越え、丘越え、途中のスイカ畑でスイカをかっぱらい、全くの炎天下に停車しました。

うそ!ここ?これならさっきのオアシスにいた方がマシじゃん!
なんでわざわざ炎天下に?
そうは思っても、語学の弊害と控えめな性格から「ここはいやだ!」と言えない私。

仕方なくパンを焼くための薪を集める。
さすがにこの中では一番体力のなさそうな私がまずバテて、以後馬車のわずかな日かげから一歩も出ないことにした。イサベラ、ファビエンヌ、弟も次々と馬車の日かげへ。アブドゥル(同行のチュニジアン)がパン生地をこねこねしてるのを日陰でぐったりしながら眺める旅人4人。

さらに追い討ちをかけるように、のどが渇いて死にそうだった私の前には、アブドゥル持参のうす茶色に濁って塩っぽい生水しかありません。

飲んだよ、もう。。だってそれしかないんだもん!!たくさん飲んだよ!!


手作りパンはおいしかったです。その場でいれてくれたベドウィン風紅茶もとても結構なものでした。かっぱらったスイカも、モラルに目をつぶっておいしくいただきました。
もっと体力ある時なら、さらに感動して「インクレラボー」を連発しながら写真を撮ったことでしょう。(ちなみにカメラも宿に置きっぱなしだったため、残念ながらこの砂漠体験の写真が1枚もありません。)

しばらくしてやっと帰路につきました。タクシーでは確かにすぐの距離でしょうが、7人の人間を乗せた馬車でタラタラ進むため、一向に町が近づかない。時速10kmも出てないのでは?

明らかに自分の体力の許容範囲以上を使ってしまったため、帰りの馬車では一言もしゃべらず、ぐったりとしている私。頭の中には冷たい炭酸飲料のことしかありません。
この気候に慣れているチュニジアンはともかく、フランス人3人がおしゃべりしたり笑顔を見せる余裕があるのが全くもって不思議です。朝から私と同じものを食べ、同じ行動をとっているのに・・・。

砂漠の入り口のカフェに戻ると、ごくごくとミネラルウォーターを飲みました。
トイレもすっごい久しぶりに行きました。もっとも、身体の水分のほとんどが、砂漠にいる間に汗となって蒸発しちゃったみたいだけど。


そうそう、これが砂漠ツアーだったことに気付いたのは、イサベラが“今日一日の料金を払いましょう”と言ったからでした。これを読んでいる人も、今の私も、“この1日はチュニジアンにとっては商売の日ですよ”ということがわかりますが、当時の私にはわかっていませんでした。旅行者の砂漠行きに付きあう、奇特な人間としか思ってなかったのです。

結局仕方なく払ったけど(10D)、私としては払う必要なし、払うなら1人5Dくらい、と思ってた(この辺のなんでも交渉しないと気がすまない病は、しばらくパッカー的せこい旅行をしていた私と、休暇を楽しんでいる彼女らの違いなんでしょうが)

だってあんなつらくて苦しい思いをしたんだよ?加えて、今日一日アブドゥルらにはずーっと「シノワ!シノワ!」といわれ続け、不愉快極まりなかったし。だいたいねえ、イサベラとファビエンヌはマダムって呼ばれて、なんで私がシノワなんだ?(中国人じゃないという話はおいといて)。「シノワじゃないんだよ!」なんて言い返す元気なかったけど。


体力的にはかなりつらい1日だったけど、彼ら3人の旅人に出会えたことはとてもよかった。これがきっかけで友人付き合いをするようになった我々。危険や苦難を一緒に経験すると、新密度がぐっと増すというあれかしらん?
いい人たち。フランス人はつんけんしてる人が多いって、誰が言ったんでしょ?(まあそういう人もいるんでしょうが)。全然だよ!

今日1日でフランス人株は急上昇!
日本人株大暴落してなければいいけど・・・。

今こうして快適な部屋でお茶でも飲みながら思い返すと、いい経験です。体力的には死ぬほどつらかったし、語学の弊害で何がどう流れているのか全く不明だったけど、チュニジアというとすぐこの体験を思い出すくらい印象に残っています。


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