世界個人旅行的記録エジプト→egypt2001

2001年2月-3月、約1ヶ月のエジプト旅行
イタリア経由→エジプト(カイロ) スペインから空路でカイロへ カイロとピラミッド観光
カイロ→アスワン  列車でアスワンへ アスワンとアブシンベル観光
アスワン→ルクソール  バスでルクソールへ ルクソール観光
ルクソール→アレキサンドリア  ルクソール→カイロ→アレキサンドリアを列車で移動 アレキサンドリア観光
アレキサンドリア→スィーワオアシス バスでスィーワオアシスへ オアシス滞在と砂漠ツアー
スィーワ→カイロ→日本へ バスでアレキサンドリア→列車でカイロ カイロ滞在→帰国

旅行記

エジプトへはイタリア(ミラノ)経由で入国。
ずっと憧れていた歴史と遺跡の国。滞在期間は約1ヶ月なので、かなりゆっくりまわれると思います。絶対まわる場所はカイロ・ピラミッド・ルクソール・アブシンベル・砂漠など。後は現地での様子で旅程を決めていきます。





イタリア経由→カイロへ

ミラノ経由の便はそこそこ空いており、3人掛けの席を2人で。少し身体を伸ばして座れました。
カイロに到着してから入国するまで、思ったよりスムーズ。ビザを購入し、空港での両替はとりあえず8000円程度にしました。着いたら客引きなどの人がうるさいかと思いきや、ほとんど問題なし。タクシーの呼び込みはうるさいけれど、これはどこの国際航空(先進国以外)でもよく見る光景なので。

空港から市内まではバスで向います。
タフリール広場近くでバスを下り、ガイドブックに載っているイスマイリア・ハウスを探しました。ガイドブックを開きつつ歩いていると、案の定知らないお兄さんが話しかけながらついてくる。正直言って地図をじっくり見ながら行けば自分でも探せると思いますが、「どうしてもご案内したい」とこのお兄さんが。

無償の親切がモットーらしいお兄さんの案内で、イスマイリア・ハウスへ。シングルがないのでダブルにチェックイン。おなかが空いたので食べ物を買いに行こう、とロビーを通りかかると受付のおじさんに呼び止められました。
「あのねえ、さっきのは悪い奴だよ、わかってる?ホントによく気をつけて。危険はないけど、日本人はトラブル多いから・・」だと。トラブル多いって、暗にバカと言われているような気がします。
「何かあったらここに我々がいるから」って、親切で世話好きなおやじさんなんですよ、結局。よさげな宿でよかった。

夕食は近所のケンタッキーフライドチキンへ。うーん、日本のと味が違う!でもおいしいです。
移動・移動で疲れ果て、ご飯を食べたらすぐに眠りました。明日からは念願のエジプト観光です。

考古学博物館
タフリール広場に面した宿に滞在していたため、博物館へは徒歩ですぐの距離でした。滞在中3回行きました。学生料金でも30LEという高額、普通の料金だとこの倍です。ひょえーです。でもここでしか見れない博物館なので、後悔ないようにじっくり見ました。
ところで展示品の数が多すぎるのか、同じ種類の出土品をずらーっと並べてある展示室などにはイマイチありがたみを感じなくなってしまう。

でも、レリーフや石版や石棺などは見ごたえあります。象形文字はもちろん読めないし、絵を見てカンで理解するのですが、なんせ王なのか神なのか、またどれがどの神様なのかよくわからない。
そして英語の説明も少ないです。こんな有名な博物館なのに、時おり気が向いたように英語の説明が入っているだけなのが悲しい・・。
まあ入り口の売店にあるガイドブック(日本語)を購入すれば、解決する問題ですが。
さすがに古代遺跡の国随一の博物館は見ごたえ多かったです。

こんなに並ぶとありがたみが・・
ハーンハリーリ(市場+土産物屋地区)
宿泊していたタフリール広場から散歩がてら歩いて行ってみました。歩けます。遠いけど。
何度か行ってみましたが、歩いて、ミニバスで、タクシーで・・とどんな方法でもOK。観光客もたくさん来ています。現地の人が買物する普通の市場と土産物屋と、両方が見れる大きな市場です。

ギザのピラミッド
カイロのバス停からバスを乗り換えて行く事1回。
カイロの安宿からタクシーで行く事1回(登頂未遂)。
夕方に見に行き、夜の音と光のショーをピラミッド向かいのピザハット2Fから見学しました。さすがに世界的な遺跡だけあって、観光客も多く、その上土産物屋や客引き(何のかは不明)など、全般的にわやわやした印象です。あまりピラミッドとの出会いの感動に浸れませんでした。でも近くで見る巨大なピラミッドは、やはり感慨深いものがありました。




カイロ→アスワンへ

カイロからアスワンへは列車で移動。奮発して1等の席を購入しました(でも学割を使い約1500円)。
アスワンまでは長いので1等にしましたが、ルクソールまでなら2等でよかったかも?乗っている人が旅行者か身なりの良いエジプト人のみなので、安心感はあります。しかし寝台ではないので、あくまでもイス席で座って&寝転がって行くのです。
22時発で16時間かかる予定でしたが、なぜか昼前には到着しました。アナウンスも看板も全く分からない為、到着時間から推察して停車駅ごとに「ここはアスワン?」と乗客に聞かなければなりません。

駅に降りてすぐ、カイロと違う空気を感じました。カイロは排気ガスがひどくて、それに比べるとここはすごくクリアーです。人々にじろじろじろーっと見られるのは同じですが・・。

宿に荷物を降ろすとアスワンに来た目的、アブシンベル神殿観光の予約のために歩き回りました。まずインフォメーションでアブシンベル神殿ツアーの予約や値段について尋ねるが、「値段?わかんない」「チケットはエジプトエアーへ行け」とか言うだけ。インフォメーションの意味をなしておりません。
仕方なくエジプトエアーのオフィス(めちゃくちゃ歩く。普通はバスの距離)に聞きに行きましたが、翌週の土曜日まで全て満席!
「いつなら取れる?」と聞くも「インシャアッラー」。
出たよ、このセリフ。そこにあるコンピュータで調べりゃいいでしょうが!
とはいうものの、彼が調べてくれないことには結局ムリなのです。そして彼には調べるつもりがないのです。諦めてオフィスを出ました。
(インシャアッラー=神の思し召しがあれば。とかいうイスラム的かっこいい言い回しだけど、たいてい“さあわかんないよ”“たぶんね”“オレにわかるわけないだろ?”的コトバとして使われます)

結局アブシンベル観光はムリ・・?と諦めかけましたが、知り合ったフィンランド人カップルに現地の有力者(?)エジプト人を紹介してもらい、彼の口利きで1枚航空券をゲットしました。おじさんが「エジプトエアーの友達に電話しておくから、私の名前をいいなさい」と。さすがコネ社会。
自分1人だったら飛行機のチケットはムリだったでしょう。このフィンランド人カップルはチケット取りに協力してくれたり、ご飯をおごってくれたり、出るに出れない土産物屋から連れ出してくれたり、ホントに申し訳ないほど親切にしてもらいました・・。

アブシンベル神殿観光
購入したのはアブシンベルまでの飛行機の往復チケットだけ。後は自力です。
市内から空港までタクシーを利用(20LE)。空港までは結構な距離があり、市内とは違う風景を見ながら走ります。空港は新しくてキレイでした。団体客がとても多く、個人の客があまりいません。飛行機は10分おきくらいに次々と出るため、空港内はすごいごった返しです。
飛行機は砂漠の上を飛んでとても眺めが良いです。さすがに「大砂丘」なないけど、日本にはない風景です。
到着してすぐに帰りのボーディングパスをもらうが、帰りの飛行機の出発まで2時間くらいしかない!いそげいそげ。

どーん!てかんじのアブ・シンベル大神殿
バスで遺跡へ向います。

大神殿はすごく大きくて、圧倒されます。中のレリーフもしっかり残っていて、でも薄暗いのではっきりとは見えません。小神殿の方も中のレリーフはきれいだし、こじんまりとした作りでかわいらしいかんじ。外の正面から、また少し横の方から、色々な場所から神殿を眺めました。

それにしても団体客が多く、写真撮るのにじゃまなのか、何度も「どいて」と言われてしまった。加えて団体客のマナーは悪い。100万回くらい「ノーフラッシュ」と言っているのにバシャバシャつけるし・・。

アスワンの空港から市内への帰り道も、ホントは個人旅行者を見つけてタクシーのシェアをしようと思ったけど、団体客しかいない!行きと同じく高い金を払って市内に戻りました。

他の観光地はそうでもありませんでしたが、アブシンベルに関しては、ツアーも飛行機のチケットも取るのに苦労します(同宿の日本人も1週間くらい先のチケットしかなく、1度カイロに戻ってまたアスワンに来る事にした、と。他にもチケット取れない人何人か・・)。2006年現在の状況は少し違うといいのですが。




アスワン→ルクソールへ

アスワンからルクソールへはバスで移動しました。4時間くらい、ほぼ眠って行きました。
しかしさすがに皆が「ツーリスティック!うるさくてひどい奴らばっか!」という場所。さっそくバスの中でその洗礼を。

ルクソールに入ってしばらくすると、なぜか私だけが町はずれで降ろされたのです。当然バス停まで行くと思っていたのに?降りてキョロキョロしていると、1人のエジプト人も一緒に下りてきて、「ここはバス停じゃないんだよーもうタクシーで行くしかないんだよーいいホテルあるんだよー」と。ちなみにバスはもう行ってしまった。
おそらく彼は客引きで、運転手に言って“コトバのわからない純朴な日本人=私”を降ろさせたのです。これから純朴な私相手に商売を始めるつもりなんでしょう。
めちゃくちゃ頭にきて「バッカじゃないの?ホテルなんてもう決まってるんだよ!」と(日本語で)言ったまま後はムシ。ずーっと横でしゃべってくるけど、とにかくムシ。このムシというのも結構疲れす。ホントは怒鳴りまくってどつきたい。。

近所のお店の人にバスを教えてもらって市内の広場へ。あーあ、なんでこんなアホエジプト人のために無駄な時間を増やさなきゃいけないんだろう??
広場からホテルに向う途中も「そのホテルは満室だよ!」というお定まりの客引きだらけ。もうお店の人としか話さないようにしよう!と固く誓いました。こっちから聞く場合は基本的には親切なので。
ルクソールは行く前から出会う旅行者全てに「すごいツーリスティックでうるさくて、見るトコ見たらさっさと移動した方がいいよ!」と言われていました。
エジプト観光のハイライト、王家の谷や東岸の遺跡群、ナイル川クルーズなんかで観光客が集まるから、ツーリスティックなのは仕方ないのですが、でも誰も彼もが悪い奴・騙そうとしている奴に見えて仕方なかった。
実際、あちらから声がかかる場合はたいていその傾向が。
分からないことや道は必ず店の人に聞くようにしてたけど、それでもやなことが多かったルクソールでした・・。

観光客相手でない人は、いい子もいっぱい

東岸観光
カルナック神殿へは宿から歩きました。結構な距離です。
さすがに有名な大列柱室は見事!レリーフの色はもちろん残っていませんが、絵はしっかり残っていて、見ごたえありました。歩いてきただけに、感動もひとしお。なかなか良い神殿でした。
ルクソール神殿へも歩いていきました。ライトアップされた神殿を見ましたが、昼間とは違う美しい光景。夜でも観光客は多いです。巨大な作りだから、古代でもかなり圧倒的に目立つ存在だったんだろうなあ。先に見たカルナックとスフィンクス参道が繋がっていた、というのがまたすごい。実際自分で歩いたからわかるけど、かなりの距離です。

西岸観光
宿泊した安宿で自転車をレンタルし、西岸へ渡るフェリー乗り場へ。ローカルフェリーを探して走っていると、川沿いにいた数人の少年が「フェリーこっちだよ!と。自分で探せるからと思ったけど、念のために“いくら?”と聞いて、ギャフン!10LEだって!ローカルフェリーは1LEのはずなのに!?
頭にきてどなりまくる(もうこのあたりにくると英語日本語ちゃんぽん)。
しかしおや?なんだか結構いいストレス解消です。日本だとこんなに怒鳴ったり怒りをあらわにしたりすることもないし。頭にきたときに怒鳴って吐き出せる、というのはある意味ラクです。
しかし、「この○○ヤロー!エジプト人なんか信じないよ!」と言ってかっこよく去ったのはいいが、結局乗り場がそこだったのでまた戻ることに。フェリーで対岸に渡り(自転車も持って入れます)、さっそく走り出す。川岸から遺跡のチケット売場までは結構な距離があります。

西岸は2日間にわたって観光しました。
1日目はハトシェプスト葬祭殿、王家の谷、セティ一世葬祭殿を。2日目にはラムセウム、ラムセスV葬祭殿、そして1日目にチケット完売で見れなかったネフェルタリの墓を見に行きました。
西岸の観光は皆が「ハードだよ」と言っていたけど、距離的にはさほど・・。ただ1日で西岸全部を周るとなると、確かにきついかも?
エジプト観光で見た遺跡では、やはりルクソールのものが一番印象に残っています。ツーリスティックで色々疲れることも多いけど、すばらしい場所だからこそ旅行者も集まるのです。見れてよかった。

山越え中、下方の王家の谷を望む
ちなみに、ハトシェプスト葬祭殿の裏側から王家の谷に向う山道があり、物好きな観光客が通るルートとして知られています。私も物好きな観光客ですので、ここを歩いてみました。

確かに山越えです。40分くらい歩きます。でも上の方の眺めはすばらしく、時間と体力があればここを登るのもいいのかな、と。時々物売り(水や絵葉書や置物)もいます。
きちんとした地図もなく、道しるべもないので、迷うかと思いきや、2回くらいしか迷いませんでした。
同じように物好きな観光客がいれば道がわかりますし、また皆が通った跡が自然に道になっており、あまり苦労はしないでしょう。




ルクソール→アレキサンドリア

ルクソールからアレクサンドリアまでは列車で一気に駆け上がることに。
といっても、ルクソール→カイロ間は夜行列車、9時頃カイロに到着し、そのままアレクサンドリア行9:30発の列車に乗り込みました。連続して長い時間列車に乗るのは非常につかれます。お金をけちって2等に乗ったため、座席は固く、さらに疲労が増しました。

アレキサンドリアでは例のごとく安宿に泊まりましたが、ここのおじさんがねえ、なんだかどうも・・。
面倒みたがりなのか、町の説明をした後、バスのチケットの取り方、スーパーの場所、色々教えながらついてまわるのです。ただの“親切”ではない何かを微妙に感じるんですが?(しばらくエジプト旅行をしていたので、人を見る目が非常に厳しくなっているようです。いや、いいことなんですけどね。)その後も、街歩きから帰ってきたとたん、“夜はシーフードを一緒に食べよう”とか“明日一緒に買物に行って食料を買おう”とか、どう考えても「親切なおじさん」ではない雰囲気を感じます。こっちの人って、基本的には無償の親切を自ら無理やりおしつけたりしないから。
宿泊中はスキを見せないように、きりっとした態度(?)で過ごした為、くつろぐ為の宿なのに疲れてしまった。。

ところでアレキサンドリアでは主に街歩きしかしませんでしたが、他のエジプトの町をは違った雰囲気を感じました。
確かに東洋人だからか歩いていると注目されることもありますが、あくまでも軽いからかいの対象というか。ティーンエイジャーの男女に興味本位の声をかけられるくらいで、それまで滞在したルクソールの「バクシーシ」「マダム1LE」「ヘイジャポーン!」とは違うかんじです。
街並みも海が近いからか、クリアーな色合いに見えます。歩く人々の顔立ちもエジプトの他の場所とは違う。もう少し西欧的というか・・うまく言えませんが。遺跡観光をメインにした旅行だったので、あまり長く滞在しませんでしたが、極めて普通に過ごせる街、という印象でした。




アレキサンドリア→スィーワオアシス

アレクサンドリアの結構立派なバス停から、スィーワオアシス行のバスに乗りました。ざっと見回したところ、車内には私を含めて6人の外国人旅行者がいます。毎日このくらいの数の旅行者がオアシスを訪れるとなると、結構な数なのでは?
アレクサンドリアからスィーワまで、ホテルのおじさんは6時間、ガイドブックには7.5〜8時間とありましたが、実に9時間以上かかりました。おしりは痛むし、うっかりスピーカーの真下の席に座ったため、ダイ・ハードやエジプト語の番組の騒音で気が狂いそうだった。
終点のオアシスで下りると思ったよりもずっと大きな集落とわかりました。

スィーワではユーセフホテルに滞在。ガイドブックにも載っている有名安宿で、いつも旅行者でいっぱいでした。
基本的に一人旅の人はドミトリー。私はずっと3人部屋にいたので、滞在中色々な人が入れ替わり立ち代り泊まって行きました。たいていは日本人の女の子、たまに欧米人といったところ。

真ん中のブルーの建物がユーセフホテル
すぐ目の前にあるレストランでよく食事をしました。特にシュクシュカという料理は安くておいしい。ひき肉に卵とトマトをのせて焼いた料理です。ここは旅行者に人気らしく、いつもお客がたくさんいて、特にご飯時には料理が出てくるのに時間がかかることも。他のレストランもありましたが、ここが一番落ち着いて食べれました。
また、近所のカフェでは通りを眺めながら(というよりも、通る人に眺められながら)お茶が飲めます。場所柄お酒はムリです。もっぱらお茶やコーヒー。
ユーセフホテルは屋上に旅行者が集まり、食事やお茶をしたり、おしゃべりをしたり、サンセットを眺めたり、とても楽しいスペースとして使っていました。私も朝いっぱいの紅茶をいれに、ご飯を食べに、夕陽を眺めに、クッキングをしに、酒を片手に、旅行者とおしゃべりに、としょっちゅう利用していました。

砂漠ツアー(2回)
1回目・・・日没と星を見ましょうツアー/16〜21時/50LE

宿泊はせず、ランドクルーザーで砂漠に行き、日没とその後の星空を見て帰る、というショートツアー。宿泊したユーセフホテルの従業員に申し込んだもの。参加者は私と日本人女子2人。
オアシスから砂漠へは普通の道から「いきなり」というかんじで砂が始まりました。思ったよりもちゃんとした砂砂漠です。四駆でよいしょよいしょという感じで砂丘を越え、適当な所で車を止めてもらいましたが、これがねえ。ショック。
沈黙にも音があるんです。キーン・・というかんじの。
はじめは自分の生体反応の音(血流とか?)と思ったけど、そうではないの。

4人の人間がいるのですが、皆が黙っているタイプ(これはラッキー)で、耳がヘンになるくらいしー・・んとしています。風が少し吹くとその音が耳元でするだけ。
それから周囲の景色もこれまたすごい。絶対日本では見れないよ。いや、他の国でも見れないかも。これはここでしか見れないのです。ずっと、憧れていたままの砂漠のイメージです。

初期ショックから立ち直ると、次の場所に向う為また車に乗り込みました。しかしさすがのトヨタ車(28年もの!)も砂にはまって停止。女3人で押しましたが、力が強いのですぐ脱出。

そこで日没ショーを見ることに。
皆から離れて少し遠くの大砂丘によじ登り、日が沈むのをじっと見ていました。

来て良かった、ホントに。ただ太陽が沈むのを待つだけ、というこの上なく贅沢な時間です。日本にいるとなぜかやらないけど。きっと日没を見れる場所も時間も余裕もないから。

日が沈んでも完全に真っ暗にはなりません。夜空の月が大きくて明るく、我々の影が地面にはっきりと映っています。

“寝転がって星を見る”がしたい日本人女子3人を、運転手は退屈そうに車で待ちます。我々はそれぞれ別の場所に寝転がり、1人きりで星空を満喫しました。でも遠くに寝転がる彼女達の姿もぼんやり見えます。そのくらい明るいのです。

流れ星は見れなかったけど、サテライトがすーっと夜空を横切っていくのが見えたよ。プラネタリウムみたいな地平線までの星空も。もっと真夜中になると、もっと真っ暗になって、もっときれいなんでしょう。

後ろ髪を引かれながら砂漠を後にし、また車で村へと戻りました。


2回目・・・砂漠1泊ツアー11時〜翌朝まで/ランチ・ディナー・温泉・日没・日の出・毛布付/40LE
宿泊の上、これだけの内容が入って上記ツアーより安い、ということは?=金額の差がツアーの“質”に跳ね返ってくるものなのでした。
近所のパームツリーホテル主催のツアー。参加者は私を含め日本人5人、ポーランド人1人。
11時に主催ホテルに集合すると、ジープとトラックが止まっており、当然安物の我々6人はトラックの荷台に。

風を直接あびながらジープの後を追い、まずは古いお墓を見学。
その後、温泉(暖かくはない)に行き、泳ぎたい人は泳ぐ。私は泳げないのでシーツをかぶって昼寝。日陰がないのがきついです。ジープ組も泳ぎませんが、日本人組の元気な若者が楽しくパシャパシャ泳いでいます。泉は結構深く、透明です。
お昼ごはんはここで作ったライスの野菜ポトフがけ。とにかく太陽の下、日差しをさえぎるものがないのはきついです。帽子をかぶっていてかろうじて助かるかんじ。

食後は次の場所、“砂漠でサンセット”のポイントへ。
しかしここからが砂漠も佳境!というところでトラックは止まってしまい、この先に進むにはすでに行ってしまったジープが客を降ろして戻ってくるのを待つしかない、と。つまり、このトラックでは砂漠に入れないのです。料金の弊害がこんなところに。。

2回目ツアーの朝。これホントに砂漠〜?
ポーランド人が「歩く。でないとサンセット見れないから。」というので我々も歩くことに。

しかし、先日行った砂漠と違って、この辺は全く砂漠らしくありません。すぐ後ろに町とか岩山とか見れるし、遠くの物音もなんとなく聞こえて、しー・・んとした沈黙が味わえない!
もっとも、沈黙の場所だったとしても、同行の若者達がギター弾いたり写真撮りまくったり、おしゃべりしたりしてるから味わえたかどうか。

とにかく、前回行っておいてよかった。
でもサンセット間に合いました。

砂丘に座って空の色がどんどん変わって、太陽が沈みきった後も茜色が空一面に残っているのを眺めました。特に月がすごくきれい。太陽が沈んだ後は、“出番!”とばかりにキレーな姿を見せてくれました。青紫色になった空の真ん中に真っ白に光る月が浮かんで、色のコントラストがホント、きれいでした。

日が沈むと急に暗くなります。今晩の野宿場所に向いましたが、何のことはない砂漠の入り口です。
・・・なんだ。
確かに砂丘はあるけど、オアシスの町の光や山が丸見えだし、砂丘の砂漠っぽくないし、なんにせよがっかり。前回見た砂漠があまりにすばらしかったから余計に・・・。
がっくり来たけど、アウトドアはいい機会です。せっかくなので楽しも。

夕食はマカロニトマト風味。砂入りで、たまにジャリってします。

寒くなったので焚き火をしています。夜中に星を見るため、早めに寝たのですが、2〜3時間眠るとあまりの寒さに目が覚め、その後はもう眠れない。焚き火に当たって少し温まったり、同じように眠れない旅行者とおしゃべりしたり。せっかく良い時間に起きたのに、残念ながら曇りのため、星はほとんど見れませんでした。

同じく、朝方日の出を見ようと砂丘に登りましたが、やはり空には雲が多く、朝日もぼんやりと雲の間から出てくるのを見るだけでした。かえすがえすも残念な。。

砂漠ツアー感想
結局どう見ても1回目の方が“当たり”でした。
同じ砂漠ツアーでこういった違いが出てしまったのは、料金の差がもちろん一番の要因でしょうが、それ以外にも天気・同行者・主催者側の手際の良し悪し・スタッフの性格など色んな条件が関わってくるでしょう。また、絶対の絶対に「無音の砂丘が連なる砂漠に行く」という気があるのなら、とにかく行く前にしつこいくらい内容を確認すべきだったと思います。

でももし1回目のツアーがなく、2回目だけでエジプトを去っていたら、「エジプトの砂漠ってあんなかんじ」という印象で帰っていたんでしょう。それもちょっと怖い・・。

なんにせよ、この後私はモロッコ・チュニジアでも砂漠体験をしましたが、結局この1回目のスィーワの砂漠ツアーに勝る風景にはいまだ出会っていません。




スィーワオアシス→カイロ→日本へ

スィーワからカイロへはまずアレキサンドリア行きのバスに乗り、7時にオアシスを出発。15時過ぎにアレキサンドリアに到着し、すぐに17時発カイロ行の列車のチケットを取りました。
オアシスで朝目を覚ました時からカイロにつくまで、ずーっと雨は降っていて、「エジプト全土が雨?」と思ってしまう天気でした。

カイロでは同じくイスマイリアハウスに宿泊。しかしシングルもダブルも満室で、オール男の5人部屋ドミトリーに3泊することに。。もうこの辺にくるとエジプト旅行も長いので感覚がマヒしてるのか、あまり気になりません。

帰国前に何箇所か観光とお土産買いに奔走しました。
お土産はハーンハリーリか、タフリール広場から歩いて行ける場所にある高級ホテルのショップなどで購入。
ちなみに、エジプト土産としては意味ないかもしれませんが、ラムセスヒルトンの前のショッピングセンターは普通のものが普通の値段(観光客にとっては。エジプト的に見ると高い)で売っていました。本屋もあって、あちこちで見た同じ絵本の値段が、ここが一番安かった。ベネトンのTシャツも買いましたが、モノが良かったのか5年以上着れました。

オールドカイロ観光
地下鉄でオールドカイロ周辺の観光に向いました。
地下鉄の駅からコプト教会はすぐ。正ジョージ教会とムマラッカ教会を見ました。ずっとイスラムの所にいるから、こういったキリスト的なものを見るのは久々です。
正ジョージ教会はとてもすばらしい造り。中に宗教画がたくさんかかっていて、絵の感じはトルコのアヤソフィアなどと近い印象です。写実的ではない。ヨーローッパで見る宗教画とは違う、「げ。おもしろい。」という絵もあったりして。シャンデリアが下がっていて、重厚な感じの教会でした。
ムアラッカの方は現在修繕中らしく、中に入れるけどごちゃごちゃしています。外壁の色をちょうど塗り替え中らしいのですが、「なぜこの色に」という色に変えています。せっかくの石造りの重厚な印象が、クリーム色のメルヘンチックな印象に。途中までしか見てなかったですが、現在はどんな色になっているのでしょう。中はこじんまりとした小さな教会で、ところどころに絵がかかっています。電気はランプのようで、点けばかなりきれいでしょう。

ガーミア・ムハンマド・アリ
なぜこのモスクを見に行ったかというと、金曜の礼拝後につくライトが見たかったからなのです。こういう自分よがりな理由で観光場所が決めれるのも、個人旅行のいいところ。
タフリールのバス停からバスでシタデルへ。

チケット売場はエジプト人でいっぱいです。金曜だから皆礼拝に来た?と思いきや、私と同じような観光客達のようです。

ちょうど中でお祈りをしている所だった為、終わるまで外で待ちました。終わったと同時に中に入ったため、中のランプが全部ついていて想像以上にキレイ!
今までみたモスクの中では、イスタンブールのブルーモスクが一番好みに合っているけど、ゴージャス、という意味ではこちらの方が上でしょうか。ライトと天井のステンドグラスがとてもきれいです。
人がいなければもっとゆっくり見ているのですが、周りにはたくさんのエジプト人が。
観光客ずれしてはいませんが、外国人好きのエジプト人。「名前は?」とか「どこからきたの?」とか「今何時?」(ウケる。話しかけたい!というかなり苦心のあとが見受けられて)とか、ほっといてくれません。

このランプがずーっと連なる
外の見晴らしの良い高台でカイロ市内を一望しました。遠くの方にピラミッドが見えて、ホントに町の近くにあることがわかりました。

帰国へ

タフリールからは来た時と同じように、バスに乗って空港へ向いました。

かなりゆっくり見てまわれたエジプト観光旅行、印象強い国でした。何と言っても遺跡と砂漠がね。
あと、この国にいる間に人を見る目がずいぶん厳しくなったような気がします(特に男性には)。男性を見たら警戒する同盟に入会し、笑わずムダ口をきかず隙を見せない・・・。しかしこのおかげで随分トラブルは避けれていたと思います。

変わりに「和を持って人となす」、の日本人的美点がどんどん自分から抜けていってしまいましたが。。

でもすごくインパクトのある国です。この旅行でメインの観光はだいたいしましたが、まだ見てない部分(紅海の方とかもっと南とか他のオアシス、アレキサンドリアも時間をかけて見たかった)は次回に持ち越ししようと思います。



















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